第35回(番外編3)幸運の制御は可能か?

1975 年、「士農工商、プ、カ」とやゆされながらも大田区・品川区には大小合わせて500社以上の金型メーカーが存在した。生産能力の倍以上もの受注残を抱え、外注先を必死に探し求めていた時代。それでも型屋の地位はプラスチック屋の下、すなわち成形メーカーの付属物的存在だった。何もせず、じっと待ってさえいれば十分な仕事量が確保された。経営能力がなくとも金型の製造技術さえあれば、型屋の登記と看板が誰にでも簡単に掲げられた。大多数を占める金型メーカーの経営者たちはその時代を謳歌した。創業時、多大な側面援護をいただいた川崎市中原のK工業のN様親子をはじめ、多くの人々からいただいた恩を語らずして今日は語れない。大恩人たちである。

皆がいい時代を謳歌していた頃、ひそかに目指したのは成形メーカーからの安易な受注拡大ではなく、セットメーカーからの直接受注。試作用の成形機すらもたない金型メーカーがセットメーカーと直接取引を始めるには途方もなくハードルは高い。それでも果敢?に挑んだ。後押しをしたのが、セットメーカーの金型に対する好奇心とメーカー間の競争心。それを担保する金型を知ろうとするセットメーカーのポテンシャル。従来の流れでは金型の重要性は理解しても金型製造のノウハウなど、直接成形メーカーのものとなり、セットメーカーには何も残らない。金型を知りたいと思うセットメーカーとの利害がここで一致した。

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